2012年7月 3日 (火曜日)

白坂横穴墓群

町田市三輪町(高蔵寺から沢谷戸自然公園裏方向に進む)に市指定史跡の「白坂横穴墓群」がある。この地は昔「沢山城」のあったところで、白坂は「城坂」の意である。ここ白坂には古くから横穴墓が十基ほど開口してあり、未開口も含めると十三基になる。、内部から河原石が敷き詰められ、数体の遺骨と須恵器、七世紀ごろ造られたものと推定される刀子、フラスコ形細頸壷発見された。多摩丘陵の中でここ白坂がもっとも横穴墓群が集中しており、いにしえの人々の心魂が感じられるような気がしてならない。(1204)Shirasakaohuketu0232Shirasakaohuketu0233Shirasakaohuketu0234Shirasakaohuketu0235Shirasakaohuketu0236Shirasakaohuketu0237

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2012年1月21日 (土曜日)

西南の役碑

熊本市内藤崎台球場へ向かう途中(段山町)に明治10年西郷隆盛らによって起る武力反乱=西南の役激戦地跡がありその石碑が建てられている。ここ周辺は熊本城攻防戦中、最も激戦が繰り広げられたといわれている。また御幸坂には西南の役回顧の碑がある。時人歌って「帰り来て燕や古巣たづぬらむ焼野となりし熊本の里」。西南の役後130年、これらの碑は、この役の為すところを改めて考え、そして往時を回顧し、歴史を語り続けていく上でなくてはならないもののようである。また法華坂に新風連の乱を起こした旧肥後藩の士族太田黒伴雄終焉の地碑がある。(1111)Seinan_hi0799
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2011年11月 7日 (月曜日)

日光奉行所跡碑

西参道の交差点の北側に、日光市の文化財1号として昭和35年に指定された日光奉行所跡の石碑がある。かなり広大な敷地であったことが窺い知れる。全国に設置された遠国奉行の一つとして元禄13年(1700)、日光にも奉行所が置かれた。日光奉行所の起因は3代将軍家光の遺臣梶定良に始まる。日光廟の警備・営繕・祭事を主な任務としていた。寛政年間以降は日光領の司政、裁判も担当。明治2年(1869)日光県となると庁舎に当てられ、明治4年廃県とともに取り壊されたところである。その名残を今も感じることができる。これから天台宗の門跡寺院の日光山輪王寺参拝である。(1111)Bugyosyoato0068 Bugyosyoato0093 Bugyosyoato0090 Bugyosyoato0091 Bugyosyoato0092 Bugyosyoato0094

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2011年9月 9日 (金曜日)

日蓮大師辻説法霊跡

旅地には真実の訓えがある!!

小町大路に面した一角に、「日蓮大師=上人辻説法霊跡」と書かれた石碑と、「日蓮腰掛石」が並んでいる。どうも鎌倉時代、この辺は屋敷町と商業町が重なる場所であったようで多くの人が往来しており、建長5年(1253)、鎌倉に移り住んだ日蓮はこの辻に立ち、道行くその民衆に法華経の訓えを説き、「煩悩菩薩・生死即涅槃」、「南妙法蓮華経」を唱えていたという。そのせいかこの周辺には日蓮宗のお寺が数多く残っている。(1109)Nichiren_reihi0107 Nichiren_reihi0108 Nichiren_reihi0109 Nichiren_reihi0110 Nichiren_reihi0112 Nichiren_reihi0111

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2011年9月 7日 (水曜日)

道元禅師顕彰碑

旅写真、ひたすら撮り続ける「写行」である!!

鶴岡八幡宮の西の鳥居を出て小袋坂方面へ向かった左側に道元鎌倉御行化顕彰碑がある。曹洞宗開祖道元禅師の750回大遠忌を記念して、平成14年(2002年)3月に建立されたもの。碑には「只管打坐(しかんたざ)」と刻まれている。道元の禅はただひたすら坐禅することである。坐禅に打ち込むことが修行であると主張。著書「正法眼蔵」は、87巻にも及ぶもので、日本における曹洞宗の真髄が書かれている。(1109)Dougen_kensyohi0155 Dougen_kensyohi0156 Dougen_kensyohi0158 Dougen_kensyohi0157 Dougen_kensyohi0159

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