2012年3月 1日 (木曜日)

小田原城

旅とは心遊である!!

小田原市に高々と聳える小田原城は戦国大名小田原北条の居城、関東支配の拠点、政治的中心であったところ。秀吉の小田原攻めに端を発し、北条氏滅亡後、城主となった家康の家臣大久保氏が今の城郭(原型)へ改修、その後稲葉氏そして又大久保氏が城主となってさらに改修が重ねられ城の姿が一新、拡大されていく。現在のは昭和35年に再興(高さ約40メートルのコンクリート製)されたもので古城というイメージはないが、城には幾多の歴史の変遷を見ることができる。(1202)Odawarajyo0802Odawarajyo0799Odawarajyo0797Odawarajyo0798Odawarajyo0800Odawarajyo0801Odawarajyo0803Odawarajyo0806

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2011年6月29日 (水曜日)

大塚・歳勝土遺跡公園

旅とは古代歴史へ思いを馳せタイムスリップすることである!!

港北ニュータウン内(横浜市都筑区)に弥生時代中期の遺跡が保存されている「大塚・歳勝土遺跡公園」。大塚遺跡は弥生時代中期の環濠集落、歳勝土遺跡は大塚遺跡の環濠周辺から発見された方形周溝墓群がある。環濠集落に住んだ人々の墓地で集落と墓域が完全な形での発見だけに歴史的にも価値があるようだ。大塚遺跡で発見の遺構のうち竪穴住居27軒が復元保存、歳勝土遺跡では遺構25基の方形周溝墓群が保存されている。どちらも昭和61年1月に国史跡に指定されている。2000年も前の弥生の村へタイムスリップしたようである。往時の暮らしぶりが見えてくるようである。(1106)Ohotukasaikatidoiseki0254 Ohotukasaikatidoiseki0234_2 Ohotukasaikatidoiseki0251_2 Ohotukasaikatidoiseki0246_2 Ohotukasaikatidoiseki0232 Ohotukasaikatidoiseki0233 Ohotukasaikatidoiseki5080 Ohotukasaikatidoiseki5081

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2011年6月24日 (金曜日)

相模原市慰霊塔

旅とは刻の記憶であり伝承である!!

相模原大沼に「相模原慰霊塔」がある。昭和16年12月に始まった太平洋戦争にここ大沼からも多くの若者が出兵し尊い命が奪われた。昭和18年(1943)戦争で亡くなった人たちの霊を慰めるため陸軍の手によって忠霊塔が建てられた。昭和27年(1952)からは相模原市が慰霊塔として管理するようになった。塔の中には戦死した人々の遺品や名簿が収められているという。毎年秋には慰霊と世界平和を願って慰霊祭が行われている。今我々は亡くなった人々の命の犠牲の上にあることを忘れてはならない。(1106)Ireitou0262 Ireitou09233 Ireitou0268 Ireitou09228 Ireitou0264 Ireitou0265 Ireitou09232 Ireitou0260

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2011年4月29日 (金曜日)

西谷戸横穴墓群

旅とは悠久の刻の歩みを受容することである!!

下三輪の椙山神社南側に開析された細長い谷戸の崖面に突き出した支丘陵先端に9基の横穴が開口している。西谷戸横穴墓群である。横穴墓は古墳時代後期に多く造られた古墳の一種で本州に広く分布しているようだ。群れをなして造られることが多く、各地域の有力者の一族の墓と考えられている。ここ西谷戸横穴墓群は昭和5859年に発掘調査が行われ、人骨、直刀、鉄鏃、副葬品などが出土した。フェンスに囲われ中を見ることはできないが、いにしえの人々の魂はきっと宿っているに違いない。(1104)Nishiyatohaka0716 Nishiyatohaka0717 Nishiyatohaka0718 Nishiyatohaka0719

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2011年3月31日 (木曜日)

熊本城と本丸御殿 

無限大の感動と出会いを綴ること、それは旅歴を築くこと!!

加藤清正によって築城(慶長6年~12年)された「熊本城」は日本三名城のひとつに数えられる熊本のシンボルである。天守閣は美しい曲線を描く武者返しの石垣の上に聳える。城郭は周囲9K、広さ98万㎡の中に天守3、櫓49(中でも宇土櫓は第三の天守閣と言われる)、櫓門18、城門29を持つ豪壮で雄大な城である。天守閣の中には一口城主の名札が架けられている一角がある。2008年にオープンした本丸御殿、一階は書院造の照君之間(本丸御殿の中で最も格式の高い部屋で、壁や襖にモンゴルに嫁がされた王照君の物語が描かれている)、大広間(今回復元された中で最大の部屋「鶴の間」から奥に向かって「梅の間」「櫻の間」「桐之間」「若松之間」からなる)、縁側、大台所、茶室。大名文化の粋を集めた創建時の世界、華麗な全貌が間近で見れる。また地下には御殿への正式な入り口とされる「闇り通路」があり、基礎の石垣に架けられた梁、巨大な柱が御殿を支えている。(1103) Kumamotojyo1234 Kumamotojyo1248 Kumamotojyo1293 Kumamotojyo1299 Kumamotojyo1295 Kumamotojyo1246 Kumamotojyo1266 Kumamotojyo1254

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2010年12月19日 (日曜日)

源頼朝のお墓

旅とは歴史の起源・ルーツを知ることである!!

鶴岡八幡宮から歩くこと10分、白旗神社脇のやや急な石段を上っていくと、大倉山の中腹から見下ろすよう国指定史跡の「源頼朝のお墓」が建てられている。周りは本当に鬱蒼とした木々に覆われ静寂そのもので、1199年落馬で53歳の若さで亡くなった名声高き征夷大将軍のお墓としてはやや寂しげな質素な佇まいの感じがしないでもない。一説では亡骸は勝長寿院に葬られた後、石段の下にあった「法華堂」に移されたらしく、もしかしたら白旗神社の地下深く眠っているかも知れないというから、なんともミステリアスである。(1011)Minamotoyoritomo0908 Minamotoyoritomo0910 Minamotoyoritomo0911_2 Minamotoyoritomo0912 Minamotoyoritomo0914 Minamotoyoritomo0913 

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2010年10月11日 (月曜日)

相模国分寺跡

旅とは古代歴史との対話である!!

国分寺参拝の後、国指定史跡(大正10年)の相模国分寺跡を訪れる。今は芝生の原のみであるが建物の基礎部分が残っている。ビナウォークの広場に建っている七重の塔も関係あるようだ。相模国分寺は天平13(741)年の「国分寺建立の詔」によって全国に建立された寺院のひとつ。昭和41年からの史跡整備、発掘調査から平成8年にかけ塔跡、金堂、講堂の基壇復元、中門・廊跡・僧坊跡などの位置表示を施して、現存する礎石は現位置のままで保存されると言う。礎石だけではあるが相当広大な地で営まれていた往時の様子を垣間見れた気がする。(1010)Sagamikokubunji_ato0501 Sagamikokubunji_ato0510 Sagamikokubunji_ato0508 Sagamikokubunji_ato0506 Sagamikokubunji_ato0503 Sagamikokubunji_ato0511

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2010年7月 1日 (木曜日)

松本城 その1

旅とは歴史空間に身を委ねることである!!

松本城は四つの国宝城郭(他は姫路城、彦根城、犬山城)のひとつとなっており、戦国時代の永正元年(1504年)に造られた「深志城」(小笠原の居城)が始まりで、天正10年1582年に小笠原定慶が深志城を回復し松本城と名を改めた。現存する日本最古の五重天守にふさわしい風格ある景観、北アルプスの銀嶺に映える美しさは、このお城ならでは魅力に溢れている。いざ戦国時代へしばしのタイムスリップの旅・・・。(1006)Matumotojyo3829 Matumotojyo3842 Matumotojyo3856 Matumotojyo3885 Matumotojyo3860 Matumotojyo3846

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松本城 その2

400年余の風雪に耐えて今なお優美な姿を魅せる天守閣のショット6景。高さ29.4メートルの大天守は五層六階としてはわが国最古のもの。(1006)Matumotojyo3839 Matumotojyo3858 Matumotojyo3883 Matumotojyo3859 Matumotojyo3891 Xmatumotojyo3851

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松本城 その3

松本城の天守は五層六階の大天守、三層の乾小天守、二層の辰巳附櫓、一層の月見櫓を複合した均整のとれた天守群となっている。天守の外壁は上部は白漆喰くい、下部は黒漆塗りとそのコントラストが絶妙の美しさ。天守の内部に入ると矢狭間、鉄砲狭間が配備され二階の鉄砲蔵、四階の御座所、天井に城の守り神祀った最上階と400年前の雰囲気が伝わってくる。これが木造建築かと思わせる造りだが、上階へ行くほど急勾配となりやはり戦の装備を重視していることが窺える。最上階の窓から眺めらる北アルプス、美ヶ原の美しい山並みの光景、昔の人の眼にはとう映ったであろうか。(1006)Matumotojyo3873 Matumotojyo3875 Matumotojyo3878 Matumotojyo3867 Matumotojyo3874 Matumotojyo3876

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