« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »

2009年12月31日 (木曜日)

今年の旅=足跡について

2009年の旅も数々の思い出とともに終幕!!

振り返ると今年はコバルトブルーの海とスカイブルーの空が美しかった沖縄から旅が始まった。2月とは言え南国ならではの汗ぱむ真夏日の暑さであった。首里城・美ら海水族館は思い出のひとつ。3月は熊本へ。阿蘇の雄大な景色と草原の懐に抱かれた。4月は伊勢志摩へ。伊勢神宮の内宮外宮、ともやま展望台、御座白浜海岸、映画の舞台にもなったという大王崎灯台を回る。善光寺の御開帳、高遠公園、上田城跡の満開桜、5月は都内の庭園公園、お寺を、6月は山形の山寺と上杉神社、福島の五色沼へ。8月は吹割の滝、9月は自然の彫刻美の長瀞、曼珠華の絨毯巾着田、秩父のSL乗車、10月は大涌谷、千石原のススキ、芦ノ湖の箱根へ、そして華厳滝と紅葉の日光、11月は養老渓谷・粟又滝と東京湾ナイトクルージング、登山者が世界一の高尾山そして薬王院の紅葉、12月は政権交代が起きた国会議事堂へ初訪問、そして日本の国立大学の代表である東京大学の校内を見学、都内の根津神社、湯島聖堂をはじめ神社仏閣を。ことしの旅で得たものは?改めて旅は人生を心豊かにするキャンパスであり、真の知識の泉であるということを実感。(0912) 2009soukatu

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月30日 (水曜日)

国会議事堂 その1

旅は自己転換の最良の薬である!!

今年歴史的な政権交代が起きた。この機にその政治の場である国会議事堂を見ておかねばならないという動機から初訪問である。警備部傍聴参観係で参議院参観受付を済ませサービスロビーで待機。待つこと30分、本日最後の見学者たちが30人ほど集まった。参観ロビーで展示資料&物(写真は天皇の御椅子と議長が使用するギャベル)をみたあと係員の誘導で二階の参議院議場へ。三階までの吹き抜け、天井はからくさ模様を配したステンドグラスの天窓が覆っている。天皇陛下、皇族、海外からの来賓等が座られるお席が議長席後部の壁部に張り出したように設けられている。重厚な歴史を感じる建造物である。議場をあとにし天皇陛下の御休所、皇族室を見学。中央広場、前庭へ出ると夕暮のなかおなじみの国会議事堂の全景が浮き上がってきた。いまこうして政治の中心地に立っている不思議な充足感に満たされているが、国民がもっと幸せな暮らしができる政治をという思いも一方で沸いてくるが・・・・・。(0912)Kotukaigijido0225 Kotukaigijido0240

Kotukaigijido0241 Kotukaigijido0244 Kotukaigijido0245

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月29日 (火曜日)

東本願寺

旅は時として自分と生き方と向き合うことになる!!

西浅草にある真宗大谷派の本山で「真宗本廟」、御影堂には宗祖・親鸞聖人の御真影を、阿弥陀堂には本尊の阿弥陀如来を安置している東本願寺を訪れる。京都の東本願寺の別院となる。境内15000坪の中央にある御影堂は世界最大の木造建築である。親鸞聖人の坐像が静かに見守っているかのようである。「生死出ずべき道す」を「往生極楽の道」(念仏の道)を法然上人との出会いのとき見出す。それは生きることの真の意味を見出すことのできる拠り所を南無阿弥陀仏、本願念仏の道ということのようだが・・・・。悲しきかな私はその域にも及ばない。(0912)Higashihoganji0184 Higashihoganji0186 Higashihoganji0190 Higashihoganji0191 Higashihoganji0189

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月27日 (日曜日)

湯島聖堂

旅は崇高な思想・哲学を学ぶ場である!!

元禄時代、将軍綱吉により建てられたという孔子廟である湯島聖堂。国定史跡となって構内には世界最大といわれる孔子像(昭和50年中華民国台北ライオンズクラブから寄贈)が参拝客を見守っている。孔子にゆかりあることから年間を通して特に受験シーズンは合格祈願の学生たちの姿がでいっぱいとなる。孔子像のほか弟子の4賢像が安置されているというが、孔子を崇拝しその影響を受けた亡父をしばし偲ぶ時が刻まれた。(0912)Yushimaseido0145 Yushimaseido0147 Yushimaseido0148 Yushimaseido0150 Yushimaseido0151

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月25日 (金曜日)

東京スカイツリー

旅とは新しい街のそして文化拠点創造との出会いである!!

浅草の街を歩いていると完成すれば世界一の高さを誇るという建設が進む展望タワー=東京スカイツリーが見えてきた。東京タワーに変わる地上デジタル放送用の電波塔としてまた防災機能タワーとして2008年7月に着工。まだ三分の一の高さであるが、計画によると第一展望台は地上350Mで二層の吹き抜けとガラス張りなり、また第二展望台には天空回廊が取り囲むという。どんどん変化し新しい街に変貌している。展望台から一望できるであろう東京湾や関東平野は眺めは果たして・・・・。(0912)Tokyo_sky_tree0193_2 Tokyo_sky_tree0219 Tokyo_sky_tree0218 Tokyo_sky_tree0215 Tokyo_sky_tree0213

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月22日 (火曜日)

高尾山 薬王院 その4

四天王門をくぐると手水場やいくつかの堂が並んでいる。やや勾配のある階段の仁王門をあがるとご本堂へ辿り着く。飯縄大権現がご本尊で不動明王の化身で五つの相を併せ持つた仮の姿として衆生を救済する得を備えた仏神とある。ご本堂前の御柱には天狗や山伏、龍の精巧な彫刻が施されいる。高尾山は修験道根本堂、至らぬ我をいさめ少しでも肖りたいと参拝する。(0911)Yakuoin_gohondo3816 Yakuoin_gohondo3817 Yakuoin_gohondo3828 Yakuoin_gohondo3829 Yakuoin_gohondo3830 Yakuoin_gohondo3831

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月21日 (月曜日)

東京大学 赤門

旅とは学問の原点を教えられるものである!!

江戸幕府の昌平坂学問所や天文方、さらに種痘所からの流れを汲み、欧米諸国の諸制度に倣い日本初の近代大学として1877年に設置。政府直轄から帝国大学とも呼ばれた。文京区本郷に本部を置くいわずと知れた日本を代表する国立大学。夢のまた夢?であった東京大学へ。「森を動かす。世界を担う知の拠点。」ここでこういう人が学育されているのか。広い構内を歩いていると志に燃えた学生を見るとうらやましくもやはり人間一生勉学であることを思い知らされる。旧加賀藩主前田家上屋敷の御主殿門の赤門、医学部、三四郎池、安田講堂のショット。(0912)Tokyo_daigaku0120 Tokyo_daigaku0108 Tokyo_daigaku0114 Tokyo_daigaku0113

Tokyo_daigaku0116 Tokyo_daigaku0110

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月20日 (日曜日)

ニコライ堂

旅とは時として歌のルーツと巡り合うものである!!

新御茶ノ水駅に降り立つと、東京復活大聖堂教会=ニコライ堂の玉葱型のドームが眼に飛び込んできた。ギリシャ正教とも呼ばれる正教会の教会だ。主イイスス=ハリストスの復活を記念した聖堂で、ロシアから正教伝道のために来日し日本に骨を埋められた亜使徒聖ニコライがその建立に当ったことから「ニコライ堂」の名となった。緑青を纏ったビザンティン様式の教会建築でここ駿河台に日本ではないような異国情緒を醸し出している。藤山一郎が歌った「ニコライの鐘」が聞こえてきそうである。Nikoraido0139 Nikoraido0127 Nikoraido0129 Nikoraido0131 Nikoraido0138 (0912)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月19日 (土曜日)

根津神社

旅とは由緒に思いを馳せるものである!!

千代田線根津駅で下車、今から千九百余前日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社=根津神社へ。文明年間には太田道灌が社殿を奉建、5代将軍綱吉が現在の社殿を奉建、千駄木の旧社地より御遷座。また明治天皇後東幸にあたり勅使を遣わし国家安泰の御祈願を修められるなど古来御神意高い名社である。(0912)Nezujinjya0071 Nezujinjya0075 Nezujinjya0078 Nezujinjya0079

Nezujinjya0083 Nezujinjya0084

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月13日 (日曜日)

勝坂遺跡

旅とは歴史と向き合いながら日常性を脱却することである!!

縄文時代中期の大きい集落遺跡として国定指定跡とっなっている。また発掘された土器がのちに縄文時代中期のめやすとなる「勝坂式土器」として全国に知れ渡る。相模川によって形成された河岸段丘上に立地し、西側の段丘の下には鳩川が流れている。今は野原という姿ではあるが何箇所か発掘跡がある。これから本格的に調査が進められ集落も一部復元予定だとか・・・。果たしてどのような生活をしていたのであろうか?(0912)Katusaka08656 Katusaka08719 Katusaka08720 Katusaka08721 Katusaka08722

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月12日 (土曜日)

椿山荘庭園の史跡いろいろ 

和様と禅宗様の折衷様、木鼻や拳花などから室町時代の作と想定される三重塔は大正14年藤田平太郎が広島県賀茂郡入谷野篁山竹林寺にあったものを譲り受け椿山荘に移築したものである。17メートルの塔をまじかに見上げると文化財級としての重厚さが伝わってくる。庭園の一角に神殿は京都下加茂神社にあったものを大正13年に移築された白玉稲荷神社がある。また京都山科に通じる日ノ岡峠に木食上人養阿正禅作と伝えられている丸型大水鉢があるが、峠を越える旅人のためのものらしく清水で涼をとっている往時がしのばれる。(0911)Chinzanso08597 Chinzanso08605 Chinzanso08602

Chinzanso08615 Chinzanso08631

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月 8日 (火曜日)

高尾山佛舎利奉安塔の紅葉 

旅とは精神を構築する作業である!!

薬王院の手前に「高尾山育喜苑」の石柱が立ててある坂を上がると、丘の上に護摩壇がありその奥に白くて大きなお目当てのタイ国王室より授けられた大聖釈尊の真身骨を奉安してある佛舎利塔が聳え建っている。この塔のまわりを囲むがごとく百観音お砂場霊場が建立されておりなんとも厳粛な気持ちにさせられる場であるが、その周りには紅葉が美しく映えていた。(0911)Butusyarito3787_2 Butusyarito3789

Butusyarito3797 Butusyarito3801 Butusyarito3794 Butusyarito08508_2 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月 6日 (日曜日)

羽田空港○○ディナー

 旅の締めは旅客ターミナル5Fマーケットプレイス「**」でのディナーである。夕暮れの窓には滑走路を離発着する機体が映りこみ、まるでスライドを見ているかのような美しい夜景を愉しみつつバイキングに舌鼓を打つ。なんとも優雅な非日常のひと時である。(0911)Dinner08461_2  Dinner08465 Dinner08467

Dinner08715Dinner08463

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月 5日 (土曜日)

高尾山 薬王院 その2

四天王門(四天王像)へ。薬王院の入り口に立つ重厚な三間一戸の八脚門の楼門(江戸時代と同様の山門)内には四天王・・・「多聞天」と「持国天」、「増長天」と「広目天」が安置されている。四天王は須弥山に住む帝釈天の輩下として山の中腹で俗界第六天の四方を守護する神といわれそれぞれ甲冑をつけ忿怒の形相をし手に武器を持っている。持国天は南を守護、手に独鈷を執り彩色は青、増長天は南を守護、手には剣を持ち彩色は赤、広目天は西を守護、軸と筆を持ち彩色し白、多聞天は北を守護し毘沙門天と同一で右手に槍、左手に宝塔を載せ彩色は黒。まじかに対面してみると中国武将の格好をしているが、表情といい、彩色とい い見事というほかない。(0911)Sitenno08521Sitenno08522 Sitenno08524 Sitenno08523

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月 4日 (金曜日)

高尾山 薬王院 その1

旅とは旅地に心身を委ねることである!!

高尾山の中腹上にある真言宗智山派の大本山「高尾山薬王院有喜寺」へ。1200年前に開山で、3大本山(成田山新勝寺、川崎大師平間)のひとつに数えられている。四天王を安置した山門、仁王門、本堂、本社、不動堂、奥之院、大本坊などからなる薬王院は関東屈指の霊山として多くの信奉者が参る。ご本尊は「飯縄大権現」。不動明王の化身で五つの相を併せもつたお姿が特徴。四天王門近くの紅葉は筆舌しがたいほど本当に真っ赤に色づいていて美しい。先ずは参道から山門へ。(0911)Yakuoin08513 Yakuoin08515 Yakuoin08516 Yakuoin08517 Yakuoin08520 Yakuoin08525

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年12月 2日 (水曜日)

椿山荘の紅葉 その1

旅とは古の歴史から訓え学ぶことである!!

結婚式場の名門/代表格となっている椿山荘へ。ここめじろ台は南北朝のころから椿が自生し「つばきやま」と呼ばれ、芭蕉も近くの関口竜隠庵に住んでいたという。安政4年、上総久留里藩黒田豊前守の下屋敷であった敷地を、明治11年山縣有朋が資材を投じ「つばきやま」を購入し、今の「椿山荘」と名を付けた。皇族(明治天皇)をはじめ政財界の重鎮がここで国政を動かす重要な会議が開いた場所でもある。空襲で灰燼に帰した後は藤田組の小川栄一(創業者)が昭和に入り「戦後荒廃した東京に緑のオアシスを」のコンセプトの元、一万有余の樹木を移植し今の原型が出来上がった。露壇式庭園には三重塔や神社、石碑・灯篭、亀の形をした石(福の亀)、石像の七福神などが配置され、それらが樹木と中でもひときわ紅葉と融合・調和しまさしく緑のオアシスとなっている。(0911)Chinzanso08580 Chinzanso08648 Chinzanso08629 Chinzanso08581 Chinzanso08584 Chinzanso08587

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年11月 | トップページ | 2010年1月 »